難解? アニメ『血界戦線』の面白さにようやく気付いた話
突然だが、著者はUNISON SQUARE GARDENというロックバンドが好きだ。
彼らのことをよく知らないという方でも、この曲は耳にしたことがあるという方はいるかもしれない。
多幸感溢れるかわいらしいメロディと苦い現実も織り込んだ歌詞が特徴の大ヒットナンバーである。
この曲は『血界戦線』というアニメのEDに起用され、ユニゾンがそれまでより多くの人に”見つかる”きっかけにもなった。劇中のキャラクターたちが曲に合わせて踊る姿が話題になり「血界戦線EDパロ」「踊らせてみた」などの二次創作も多く投稿されている。
先述の通りユニゾンファンの著者はこの曲をきっかけに血界戦線に興味を持ち、視聴するに至ったのである。
しかし、そうやって見始めたもののこのアニメの面白さがいまいち分からず、前回は最後まで視聴しなかった。つまらないと思ったわけではないけれど、続きがどうなるのかという好奇心が諦めに負けてしまったのだ。
ところが先日ふと視聴を再開してみたところ、その認識は上書きされ、2,3話だけのつもりが一気にシリーズ終盤まで見てしまったほどに「面白い!」と感じたのだった。
なぜそのように評価が大きく変わったのか。
この記事では、著者が久しぶりに見返してみて「『血界戦線』ってこういう風に楽しむアニメなんじゃないか?」と個人的に感じた見方や楽しみ方を紹介したいと思う。
前回の視聴時に思っていたこと
私はさほどアニメを見る人間ではない。話題作のタイトルは把握しているつもりではあるし、好きな声優さんが出演していたり主題歌が気になったりすれば見てみようかなと思うけれど、少なくとも「今期はあれとあれとあれを見て~」と張り切って事前に決めたりするほどには前のめりではなかった。
だからといっては何だが、アニメの見方や楽しみ方を十分に理解していなかったと思う。
言い換えれば、見てきたアニメの種類が少ないので自分の知っている型にあてはまる形でしかアニメを見ることができなかった。
例えば、それまで自分が見てきたアニメはモノローグを用いるなど精神的な部分に重点を置く、物語の主人公たち視点でストーリーが進行するものが多かった。
だから基本的に主人公たちと一緒の目線で見進めていくし、そうしながら物語の世界観や設定がどのようなものか理解を広げていったわけである。
物語の進行とともに、理解が深まっていく。
そして、その感覚で見ようとしてつまづいたのが『血界戦線』だ。
例えば、
・長い横文字のキャラ(ほぼ全員)をフルネームで覚えようとしていっぱいいっぱいになる(結局覚えられない)
・今どういう状況なのか、前回のストーリーとどうつながっているのか、クラウスさんたちが使う能力はどういう仕組みで働いているのか、能力は生まれつきなのか鍛錬の成果なのか、能力の型のようなものは何種類あるのか、それらは基本複数所持しているものなのかetc...
などである。
世界観や設定といったストーリーの根幹になる基本的な部分すらしっかり掴むことができない。メインキャラの名前すら覚えられん。絶対重要なのに能力の設定もほぼ説明してくれん(原作は分からないけど少なくともアニメではそうだった)。
しかも主人公はそんな不透明な状況を意外にも最初から受け入れちゃっている。えっちょっとレオ適応能力高くない?
これまでの経験からこれら基礎的なことは理解しておかないと楽しめないという強迫観念のようなものを感じつつも、
話が進むごとに分からないことが増えて置いてきぼりをくらったような気持ちになっていた。
そうして、見進めるのを諦めてしまった。
今回気付いたこと
前回視聴したときと大きく違うのは、それからいろいろなジャンルのアニメに手を出してきたところだ。コメディやショート、途中で世界観が180度変わるアニメなど、それまでの自分だったら見なかったであろう分野にも足を踏み入れた。
そして、ある種悟りのようなものを得た。
それは、「分からないものは分からないままでいい」ということである。
たしかエヴァンゲリオンの監督・庵野秀明氏がどこかで話していたことだが(曖昧で申し訳ない)、セーラームーンがなぜヒットしたのかについて、世界観にあえて穴をあけておくことだ、というようなことを言っていた。あえて分からないところや明らかにしないところを作ることで、読者や視聴者に解釈や想像で埋め合わさせる、というようなことだ。
また、『夜は短し歩けよ乙女』(これは原作から大好きな作品だ)のように世界がSFチック・コメディチックにできていることを暗黙の了解として、道理もそこのけそこのけと言わんばかりにずんずん進んでいく作品に出会った。
このアニメこそ、なんでそうなったとか考えるだけナンセンスである。黒髪の乙女や樋口師匠の魔法まがいのめくるめくアレコレにただ愉快愉快、と腹を抱えるのが正解だろう。
つまり、
①アニメとは(製作者の意図の有無はさておき)必ずしも設定や世界観がすべて理解・解釈できるほどに明らかになるものとは限らない
②むしろ最初から設定や世界観が明らかにならないことを前提にSF的・コメディ的に作られた作品もある
と、思い至ったのだ。
『血界戦線』に関しては、個人的には②に近いんじゃないかと思う。
それに、”非日常が日常の遊園地”みたいなヘルサレムズロットではいつもどこかから煙が上がり、建物は破壊され車はペシャンコになる。
人も異形も、いつ命を落としてもおかしくない街を何食わぬ顔で行き交う。
この街においては「分からない」ことなど数えきれないほどある。むしろ分かることのほうが少ないだろう。
だから、なおさら、分からないことは分からないまま受け入れる、いや、楽しむのが、この街の歩き方なんじゃないかと思った。アニメを見ている私たちは、その視点を共有しているような気持ちになってくる。
(割とあるパターンだが)話の初っ端からなぜレオやザップあたりが絶体絶命的な状況になっているのかとか、ライブラのみんなの能力が本質的にどういうものか分からないとか、それすらも「だって、ここはヘルサレムズロットだよ?」と言われたらもう、そういうものとして納得するほかなくなってしまう。
でも、だからこそというべきか、ヘルサレムズロットの中では人間らしい感情が尊く、輝かしいものとして鮮やかに照り映える。
そしてこれは私がこの作品の見落とされがちな魅力なんじゃないかと思っているところでもある。
命の価値も軽くなっていしまいそうな街の中で、笑ったり、泣いたり、誰かを大切に想ったりするレオやホワイトたちにはまぶしいという表現が似合う。命を燃やしてる、生きてる、って感じがする。
OPのBUMP OF CHICKEN「Hello, World!」の歌詞「ハロー どうも 僕はここ」、
先述のED「シュガーソングとビターステップ」の歌詞「大嫌い 大好き ちゃんと喋らなきゃ 人形とさして変わらないし」。
それらは、救いようもない街の中で、たしかに存在していることを証明をするかのように声を上げ続ける彼らのことなんじゃないか。
私は、実は『血界戦線』はこちらが戸惑ってしまうほどに力強く生を描き肯定する作品なんじゃないかと思う。
おわりに
ここには書かなかったが、戦闘シーンのババン!と文字が出る演出やおしゃれなBGM、さらりと挟まれるユーモアに富んだセリフなども魅力のアニメだ。シュールな笑いを誘うものもある。これは見てもらわないと伝わらないが、カメラワークや切り替えなどの構成もユニークだ。あと、ソニックという白くて目の大きな音速猿がなんともかわいい。あと心配してたけど名前はフルネームで覚えなくてもぜんぜんいけた。
刺さる人には深く刺さるが、もしかしたら刺さらない人には全然刺さらない作品かもしれない。しかし私のように時間差で「面白い!」と叫ぶ人間もいるくらいだから一度試しに見てみてほしい。同じように以前見たときにはいまいちピンとこなかったという人も見返してみたら刺さったりするかも。機は熟すものだ。
私はアニメで視聴したが、原作は内藤泰弘さんが手がけたコミックで、現在「ジャンプSQ.RISE」で連載中である。
※2021年 3月7日 一部加筆修正しました。