吾輩はハリネズミである

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永遠のテーマ「結婚」と、「赦し」 大学生が見たBBC版『高慢と偏見』

 

 

 

 

まえがき

突然だが、私は週刊誌などが報じる芸能ニュースが苦手だ。

 

結婚・出産はライフイベントの中でもとりわけ幸せなことだ。これらのニュースは聞くだけで反射的におめでたいと感じる。けれど、友人でも知人でもない人たちの結婚やお子さんに抱く感情はそれ以上特にない。芸能人に詳しい方ではないから、夫婦どちらも知らないことすら結構あって、本当に自分から遠いところで起きる出来事って感じがする。

 

ただ、さすがにそれだけでは芸能ニュースが苦手とまでは言わない。やはり相応に苦手だと感じる理由がある。

 

それはまず、急にヘビーな表現だけども、

芸能ニュースには他者の”悪事”を晒し、一方的に裁き、それを赦されないものとして世間の憎悪や嫌悪感を煽り立てる面があると考えているからだ。

 

人は愚かである。不完全である。故に過ちを犯すこともある。

私たちはそのことを知っているはずであるし、自分だって例外でないことも分かっているはずだ。

なのに、対象が他人になった途端にそれは認められないものとなる。

世間に広く知らしめ轟轟に非難し、時には自分が被害を被ったかのように理性を失い、人格を否定する言葉まで吐き出す。ニュースには読者や視聴者のこのような行為を肯定し煽るかのような文面が並ぶ(少し前でいえば複数女性との不倫がバレた某芸人なんかが分かりやすい例である…)。まるで芸能人には人権がないみたいだ。けれどこれも”有名税”の一言で片づけられてしまうのだろう。

確かに、誰かを悲しませたり被害に遭わせたりすることは悪いことだ。傷ついた人の気持ちを軽んじることも決してしない。しかしそれは、絶対に、今生、赦されないほどのことなんだろうか。なにより、完全に外野の私たちに、出しゃばって赦されるかどうか決める権利があるのだろうか。

 

 

もちろん、芸能ニュースはここまでのような不祥事がすべてではない。けれどそのようなニュース全般に言えることがある。

それが第二の理由として挙げるものだが、そもそも基本的に芸能ニュースが取り上げることは本質的にどうでもいいことだらけだからだ。

上で挙げた結婚、出産、不倫、浮気、離婚騒動、個人の範疇の不祥事も言ってみればそうだ。

芸能人の学歴、出身校、恋人の有無、年収、身長... 他の芸能人との不仲や過去の整形などにも触れるものもある。

からしたらそんなことを知ってどうしたいんだろう、という気持ちにしかならない。政治や経済、ローカルなどの他のニュースと違って、知っても自分の身になにも影響が生じないことがらであるからだ。

 

 

総じて、芸能ニュースが好きではない著者の心の声をざっくりまとめると、

「なぜ赤の他人のステータスがそんなに気になるの?

なぜ赤の他人の事情に首を突っ込んであれこれ言いたいの?」

の二つに大別されるのである。

 

 

 

 

...長々とやや毒気づいた前置きをしてしまったが、ここで本題に入っていきたいと思う。

 

 

 

先日、BBC版ドラマ高慢と偏見を視聴した。原作はジェイン・オースティンの同名の小説である。

 

www.bbc.co.uk

 

あらすじとしては以下の通りだ。Wikipedia の記載であるが、長いのでその冒頭のみを引用する。該当箇所はネタバレには配慮してある。

 

あらすじ

舞台は田舎町ロンボーン。女ばかり五人姉妹のベネット家では、父親のベネット氏が亡くなれば家も土地も遠縁の従兄弟の手へと渡ってしまう。ベネット氏は書斎で好きな読書と思索にふけって自分が楽しんでいられればいいと我関せずの態度だが、母親のベネット夫人は娘に金持ちの婿を取って片付けてしまおうと躍起になっていた。

そんな折、町に独身の青年資産家ビングリーが別荘を借りて越してきた。ベネット夫人は早速娘を引き合わせようと舞踏会の約束を取り付ける。美しい長女ジェーンとビングリーが印象悪からぬ出会いをする一方、次女エリザベスはビングリーの友人で気難し屋のダーシーが自分の事を軽んじる発言をするのを聞いてしまい、その高慢さに反感を抱く。その裏でダーシーはエリザベスの瞳に宿る知性の魅力に知らず惹かれ始めていたが、プライドの高さが災いして、格下の家のエリザベスと打ち解けられない。

 

お察しの通り、そろそろ結婚がプレッシャーになってくる年頃の男女が複数登場して、あの人が金持ちらしいとか結婚するとかしないとかでドタバタするありふれまくったテーマの恋愛物語である。

 

登場人物はなかなかに多いし、結構関係が入り組んでいる。見ながらメモを取っていたのでその写真を以下に添付する。

ネタバレにもなりかねないので、避けたい方はスキップするか、(肝心の関係性に関しては一応薄字で書いたので)細目で見るかしてほしいと思う。

 

 

 

 

関係図


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こんな感じ。これでもまだ書き足りない部分がある。なかなかカオスだ。自分が主人公のエリザベスだったら世間狭いなって思うだろうな。

 

以下、この人間関係の中で結婚をめぐってドタバタする恋愛物語を見て考えたことを記す。

 

 

 

考えたこと

結婚は不変の関心事

物語の舞台となった18世紀末のイギリスも、現代を生きる私たちも、結婚は人生最大の関心事の一つのようだ。

当時ほど家柄や相続の問題は重要じゃなくなったけれど、結婚が共に家庭を築き長い余生を過ごす相手を決める行為であることに変わりはない。

ただ、冒頭の芸能ニュースの例みたいに他人の結婚や離婚すら気になる人が一定数存在するということは、結婚そのものが興味をそそる事象なんだろうとも思う。

それは結婚とかまだまだ先のことだよねー、と楽観的に構えている大学生の著者には想像する他ないが、親から「結婚はまだなの?」とか「早く孫の顔が見たいわー」とか言われるようになってきた世代の方々からしたら、むしろ関心を持たずにいることのほうが難しいんじゃないかとも思っている。いや、想像なので実際に言う親御さんが存在するのか知らないけれど...(ドラマの見過ぎ?)

 

 

 

永遠のテーマ:イケメン・お金持ち vs. 人格者

物語には、エリザベスをめぐって三人の男性が登場する。

 

ダーシーは容姿端麗で超が付くほどのお金持ちだ。だがいつも気難しい顔つきをしていて近寄りがたいオーラがあるし、エリザベスとしては初対面でダンスを断られたり自分の容姿を「許せないことはない 特別な魅力はないが」と話しているところを聞いてしまったために、自分を蔑んでいる最低な男だという印象を持つことになる。

特別な魅力はない、とか言われたら女性のプライドは傷つくだろうな...。

 

コリンズは容姿に恵まれているとはあまり言えないし、悪人ではないけれどあからさまなお世辞や表面的なふるまいが目立つ。要はちょっと薄っぺらい人間って感じがする...。

ただ、彼は地域の教会を任された牧師でそこそこ収入はあるし、当時のイギリスの資産制度ではベネット氏(エリザベスの父)の死後土地や家などすべての遺産を相続する立場である。

 

ウィッカムは軍人でさほど収入はない。しかしハンサムで人当たりのいい性格をしているようだ。それに紳士的なふるまいで、エリザベスの気持ちにも共感してくれる。

エリザベスは「心から愛せる人としか結婚しないわ」と言っていたくらいだから、収入を考えないなら三人の中で一番可能性があるかもしれない。

 

コリンズに関しては序盤で決着がつくのでネタバレをしてしまうが、彼は選ばれなかった(というか、彼のその後の展開が意外でびっくりした...)。

 

つまりエリザベスは、

お金持ちイケメンだけど性格最悪男と、お金はそんなにないけど紳士なイケメン、どっちを選ぶの?!改め

結婚相手、ステータスが大事?中身が大事?

という究極の二択を迫られることになるのだ。

 

 

ベネット家の中でもその答えは結構分かりやすく割れている。

ベネット夫人や五女のリディアはステータス派。お金持ちとかイケメンと結婚することが幸せ。

エリザベスや長女ジェーン、ベネット氏は人格派。誠実で賢明な人と結ばれることが幸せ。

ちなみにジェーンといい感じの関係にあるビングリーはお金持ちでもあるけど絵に描いたような紳士だ。というか、ベネット氏とベネット夫人が夫婦なのが不思議に思えてくる...。

 

脱線したが、ステータスと中身どっちが大事問題は今も答えが人それぞれ分かれるし、きっとこれからも永遠のテーマなのである。

 

 

 

 

三宅香帆さんの本を読んで思った「赦し」

ダーシーは先述の通り気難しいし、エリザベスも実は偏見で物事を判断しがちである。

ベネット氏は折角のインテリジェンスを妻への皮肉くらいにしか生かせていないし、夫人はすぐ感情的になったり下世話な発言をしたりする。

ジェーンはちょっと気が弱いところがあるし、メアリーは時々空気が読めていないときがある。

 

つまり、お気付きの通り、

 『高慢と偏見』の登場人物には、完璧な人間がいないのだ。

 

 

ところで、三宅香帆さんが書かれた『人生を狂わす名著50』という本をご存じだろうか。当時京大院生の書店スタッフをされていた三宅さんが書いた、2016年の年間はてなブックマーク数ランキング二位にもなった記事をもとにした本であるからそちらを読まれた方もいらっしゃるかもしれない。

 

実は、『高慢と偏見』はその50冊のひとつに選ばれている。

cakes.mu

 

私はこれを読んで、なるほどと思ったことがある。

それは、記事のタイトルにもなっているが、「人間の失敗を、ユーモアをもって微笑む」ことって意外と難しい、ということだ。

 

小説によって養われる知性とか教養というものが人を豊かにするとすれば、きっと、そういった何かを許せる笑い方を身につけるから、なんだろうと思う。

 

やはり人は愚かである。不完全である。故に過ちを犯すこともある。 

自分も例外でないことを知っているはずだが、他人の過ちには嫌悪感を抱いたり、特にそれが自分に不利益をもたらすとき赦せないという気持ちになったりする。

 

だが、『高慢と偏見』は、それらを笑い飛ばす強さを持っている。

ベネット夫人また突っ走ってるなあ、とかコリンズさんはごますりもっと自然にやればいいのに、とか思わず吹き出してしまう。

現実でも他人の過ちを笑えるようになったら、それは豊かなことだろうなと思うのだ。

 

 

 

感想

ダーシーとビングリーを演じる俳優さんもかっこよかったしジェーンの女優さんがとびきりの美人さんで、普段あまり洋画を見ない身としてはイギリスの方って素敵...という感慨も深かった。

”芸能ニュースどうでもいいマン”の著者は、初めはお隣さんの年収がウン万ポンドとか顔がいいとかでワイワイするこの作品を斜に構えて見ていたのだが、結局エリザベスは誰と結ばれるんじゃい!と気になって最後まで見てしまった。面白かったです、降参...。

 

でもやっぱり、他人の欠点や間違いを愛を持って笑うってこういうことなんだ、と教えてもらえたのが大きい。赤の他人のステータスを気にする人たちも、被害者でもないのに赦せないと言っている人たちも、今はくだらないなあと思ってしまうけれど、それすらも笑えるようになってみたいと思っている。